路上演劇祭の路上を平仮名にすると、“ろじょう”となる。
“ろじょう”というと、途端に心もとない気がして、
ろじょ―だか、じょうろだか、ろーぞだか、どーぞだか、よくわからなくなり、
六月なのによく晴れた空から、大きなジョウロで草花のように水をかけてもらいたくなる。
ジョウロを漢字にすると、“如雨露”。
途端に俳人を気取り洒落た夏の季語を使って、一句ひねりたくなる(あるいはならない)
とはいえ、巨大なジョウロで撒かれるように雨が降ると、
有楽街で開かれようとしている“路上演劇祭”は困る。
雨でもどんと来いだが、有楽街では出来なくなる。
「段々日影がなくなってきた」
太陽に支配されるかもしれない。
(それは杞憂に終わる。いずれ建物で影になる時間が訪れ、通りをさあっと涼しい風さえ吹く)
MCは、まりまり、ぷちまり、寺田の連合軍がリレーでつなぐ。
【出張お芝居!ぷちまり】
あなたたちは、いつまで出張お芝居を続けるのだ。学生生活に期限があることを知りながら、今にすべてを燃やす人々よ。
二組にわかれ、同時進行で別の芝居が展開される。
便宜的にどちらかの演劇を観る観客も含め、盛大に重層的な場と化す。
【URARA】
「新聞紙を体に巻いた踊り」と地方紙の女性記者に記されたが、ある意味正しく、ひとつの驚きを正直に表わした言葉だと思う。
なぜ彼女が新聞記者を志したのか知らないが、
まさか、仕事の結晶である新聞がこのように使われるとは予測もしなかっただろう。
【キング人民共和国】
ここには王様(キング)はいない。王様を演じる者たちがいるのみだ。
我々は、巨万の民の内ひとりしかいない王様にはなれないことを知っている。
また、そんな者になってみても仕方がないこともよく知っている。
なれる者にすでになっている。
【浜松キャラバン隊】
そもそも、天気が悪いとはどういうことなのか?雨が降ることは良くないことなのだろうか?
天候ごときに左右されるよりも大切なことはあると思う。
たとえば、花に水をやるように。
【木の実プロデュース】
私たちが交換する物は何なのか。考えて見ても仕方がない。
鉢合わせてしまったからには、どうしようもないのだ。
その後のことは、プレートに書かれたオノマトペを見てから考えよう。
【a・la・ALA・Live】
腰に手をあてて「ぷは~」と飲み干すのは、銭湯でのコーヒー牛乳以来かもしれない。
いや、これは昭和の時代の宴会か。
「一気一気一気一気‥‥‥」
昭和を知らぬ若者が、飲み物もなしに唱和する。
【劇団天文座】
背中で物を語ったのは、いつの時代か。整列が美しいのは、試合終了を告げられた高校球児か。
大阪より来た若者たちは、有楽街を正面に見据え、何事かを語る。
両手をだらりと下げて。
【エンジョイ・おでんの具】
叩く遺伝子は何かの発露を経て、身体表現へと変化する。親が子を叩くのも男が女を叩くのも同様かもしれない。
楽器の演奏は実はそれらと背中合わせ。
狂い、いずれ祝福となる。エンジョイ!!
【加藤解放区】
グーがチョキに勝つのは、今のところ常識。そういう法則の元、世間は成り立っている。
長い髪を後ろで束ねた浪人風の男性が立ち止まろうとも、
「個室焼肉忠臣蔵」と言う店名が気になろうとも。
【テラ・ダンス・ムジカ】
這いつくばる飛行帽の男と普段着のダンサーの身体。立ち尽くす顔のない観客たちと、地べたに腰を下ろす者たち。
世界が二分されているようだが、写真という切り取られた見え方に過ぎない。
偶然。たまたまなのだ。
音があることは、現場でぜひ!!
【里見のぞみ】
「とらじ」よ。12年前(の路上演劇祭)はお好み焼き屋であったはずだ。「かきセンター」よ。あの日は果物屋であったはずだ。
顔のない人には、ほんとうに顔はないのだろうか?
それは誰も知らない。
あったはずのものの行く末を誰も予感ができないように。
【劇団カチコミ】
5月の浜松まつりが終わった週末、有楽街の挨拶まわりをした。大阪から来た人気者志望のグレートショーと重なった。
未来志向の花は咲くことだろう。
【お芝居デリバリーまりまり】
演劇祭の前、来浜(浜松に来ること)し、いくつか公演したそうだ。妹分のぷちまりとも一体化し、大きな力となる。
でも、こうして仲良く笑っている姿を見ると、
個人個人の力の結晶であることがよくわかるのだ。
手持ちの黒上下で挑む潔さも含めて。
【フィナーレ①】
舞踏家の五本の指先につかむのは何なのか。詩人の発する言葉を越えてゆく。
ここでは物理的にであるが、
そもそも異なる表現手段は、互いに越え合うのがいいのだ。
越境。
そういう場。
【フィナーレ②】
フィナーレが行われたのは最終演目が上演された場所だった。北端から南端まで演劇の旅で踏破することを志した。
ただし、南端には辿り着くことは出来なかった。
そこに悔いはまったくない。
あくまでも机上の目論見だ。
予測できないことを楽しむ、
それが路上の醍醐味としか言いようがない。
みんな、
路上演劇祭が始まるよ!!
路上演劇祭が始まるよ!!
文章:寺田景一
写真:榎本有希子
写真:榎本有希子
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