2026年6月11日木曜日

路上演劇祭Japan in 浜松2026 雑感 その2

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金子あつし【小説『えなも おどっちゃうけん! はじまりのとき』のはじまりのとき】

 

9年間浜松に住み出版社を経営していたが、出版社のない地域で自ら立ち上げたいと、5月中旬より群馬県南牧村に住む。

路上演劇祭の準備の最中、そんなドラスティックなニュースが届いた。

自らの小説の冒頭を、群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」を相棒に、漫才から入る。

落語で言う枕(まくら)であると語っていた。

本編に入る前の導入。

小説は朗読にて読まれない。

あくまでも語られる。

落ちはあったのだろうか。

きっと落語のように、うまく落として締めたことだろう。

















1440

ヒメ巴勢里劇場【回転詩~円にて演じて縁深まる】

 

まさにタイトル通りの作品だったなと思った。

名は体を表すと言うが、演劇作り以前の段階でつけた名が、内容に宿ることがある。

あたりまえだと思うかもしれないが、そうとも言えない。

当初の構想と演劇がズレていく場合もある。

思いと行動で進行していくさまが今ここにしかない演劇だった。

どれを使おうか迷ったが、演技の果ての写真にした。

タイトルをよく表現していると思う。

正しくは、詩にはポエムとルビがふられている。

















1500

右脳中島オーボラの本妻【テクノカット三郎VSメトロポリタン男爵】

 

4月に世田谷で観た時と驚くほど違うテイストの作品だった。

その時は女性キャストが活躍していた。

浜松での上演は男性率100%。

世田谷の作品が文学系前衛なら、浜松はかなりのハイテンションPOP

音もバシバシ駆使する。

肉体使用率の高い体育会系でもあり、恐れを知らぬ男子大学生ノリでもある。

1930分名古屋着のメンバーがいるため、強い印象を残したまま、去って行った。

多様な劇団の実態の秘密は聞きそびれた。

















1525

The合唱団【花は咲いたか】

 

声が出なくてもかまわない合唱団に、昨年参加したグループホームすてっぷがドッキング。

「花は咲く」は東日本大震災の翌年2012年に生まれたチャリティーソング。

作詞の岩井俊二さんと作曲・編曲の菅野よう子さんは宮城県仙台市出身。

亡くなった方の目線、100年後も詠み人知らずで残る曲になればいいとつくられたそうだ。

歌詞は歌詞カードに書かれた文字ばかりが歌詞ではない。

曲は五線譜に書かれた音符ばかりが曲じゃない。

聴こえてきたすべてが音楽。

いや聴こえなくてもかまわない。

声に、そして姿に音はあらわれる。

 
















1535

笠谷ん【『白雪姫』『鶴の恩返し』】

 

昨年にも増し、さらにパワーアップした笠谷ん。

石の上に神々しく立つ。

今年も金沢から訪れたが、かつて浜松で演劇をやっていた頃がある。

その時、劇団活動を始めたと言う。

当時演劇活動を通して、知り合いだった人が観に来ていた。

感想は聞かなかったが、その頃とはまったくちがう姿ではなかったか。

少なくとも白塗りではなかったんじゃないか。

昨年出場するということで観に来た仲間との縁で、出番後ジャズとのコラボによるライブが予定されていた。

















1605

エンジョイおでんの具【ドゥンドゥンバ・パーティ】

 

3年連続の出演だが、1年経てばいろいろ変わる。

とは言え、変わることもあれば変わらないこともある。

ひとりのレディがデビューした。

メガホンの準備万端。

画像落としたので見づらいが、ぜひ元データのご確認を。

今年は無理を言って、「春休みの宿題」にも登場して頂いた。

「南西に向かうと、人類誕生のアフリカの大地」。

踊る輪は途切れず、長くどこまでもつながっていった。

















よにんめの「滞在型出演者」佐々木知里【何かのやりとり】

 

佐々木さんは路上演劇祭が始まる前まで、1か月ほど全国のいくつかのシェアハウスを巡っていた。

シェアハウスとはひとつの建物の中、複数人でキッチンやリビングなど共有して暮らす形態。

相部屋でなく、各自は個室で住むのが特徴。

他者との距離感が、現代的なのかもしれない。

地球を大きな家とするなら、生き物はみなシェアハウスに暮らしているとも言える。

佐々木さんはここで、共有のためのひとつの試みを投げかけた。

そこには多くの人が集い、何ものかをシェアしていた。


















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あめつち【朗読劇『家康食い逃げ物語』】

 

あめつちのリーダー、伊藤さんは交流関係が広い。

演劇関係にも知り合いがいて、美容室に行ったら「伊藤さん路上出るでしょ」と言われ驚いた。

僕が一度共演された方が観に来ていて、メンバーがその方のWSに参加されていたそうだ。

始まる前のチンドンのお囃子が効果的だった。

直前の「エンジョイおでんの具」のアフリカ太鼓と対称的だが、大海を越えて文化がつながった気がした。

ひとりの方は間際に仲間に入り、数回の稽古で挑んだと楽しそうに話されていた。

















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荒山昌子【a.laALALive~浜松路上演劇祭バージョン】

 

観客を巻き込みながら、ひとりの人間の悲哀を笑いをまじえ表現する。

この日のアラリンはいつものそんな姿とは異なる気がした。

石舞台に颯爽と立つさまは、まるでオペラ歌手。

いや、これは風が吹きすさぶ荒野にひとり立つ女。

観客との物理的な距離はいつもと違い、遠い。

しかし現在から始まる三世代の女の話を、みな食い入るように見つめていた。

それは私のことでもあるとでも言うように。

















1725

キング人民共和国【大きな羊、11の心】

 

すずや、ムラキング、ジュリエットによるトリオ芸は毎度さまざまな形を成す。

今回はまるでトリオ漫才だった。

三味線?と踊りと語り節。

演芸場での似たグループを探したが、見当たらなかった。

横山ホットブラザーズでもないし、コント赤信号でもカシマシ娘でもない。

東京03、四千頭身、花子、ロバート、パンサー、ネプチューン・・・。

いつも早めの登場だが、遅めの出番に、通路で打ち合わせらしきことをしていた。

演芸場の芸人のように、あうんの呼吸でやればいいとばかり、さっそうと上演場所に姿を現わす。

















1740

イチニノ【遠くから見てるだけ】

 

イチニノは茨城県からやってきた、と思っていたら、千葉県、長崎県からも訪れていた。

その人たちは他団体のメンバーで、何とネットワークを駆使した、“イチニノ一座”!

会話劇は、野外では難しいと感じる時がある。

そんなケースも目にし、やっぱり外はノンバーバル(非言語)だなあ、と思ったりする。

人々の生活音の中、混沌や喧騒に、大切に伝えたい言葉が消えていく。

探すのだ。商店街の軒先を、ビルの隙間を、小さな公園のような、そんな場所。

地下広場で見つけ行われた会話劇は、天候により内容が変わるとも言い、晴れと雨のバージョンがあるそうだ。

今回晴れだとしたら雨がある。いつか観てみたい。雨の日にでも。

 
















1805

AOHAROOP(仮)(アオハループ)【応援戦隊!メガホンジャー~浜松を元気に!応援パワ―発動!~】

 

本番に至るには、エントリーからPRチラシ作成の段階でエントリー名、演目名を確定させる必要がある。

アオハループは結果、仮の名を選択し、そのまま当日を迎えることになる。

それはどこか、その日の表現にあらわれていたと思う。

決して、自分たちのことだけが大切なんじゃない。

他者、他人、他の人、ここでは浜松と名付けてもいい。

自分たちが生活する場所、大切な人が居る所があってこその自分。

さあ、言いたいこと、伝えたいこと、それを浜松の街中から叫ぼう!

アオハループとは、青春(アオハル)がループする、青春を何度でも、一生青春!の意味だそうだ。

やっぱり、とっても、いい名だ。

 
















ごにんめの「滞在型出演者」杉浦麻友美【アラームの中で】

 

昨年は、鉄塔の前などで姿を見たが、今回はあまり目にしなかった気がした。

「ヒメ巴勢里劇場」や「The合唱団」の演目には登場した。

もしかしたら僕自身が、他のやるべきことというやつにかまけていて、まわりを見なかったのかもしれない。

そんな思いを他者が撮った写真をみて思う。

視線は人の数だけある。

同じ場所に居てもみている所は違う。

みているようで何もみていない場合もある。

つかのま記念撮影に興じる者たちがいることも。


















1825

里見のぞみ【ぞわぞわ】

 

演劇とは観るものだが、まるで文学作品を読んでいるような気がする時がある。

フランツ・カフカ「変身」では、主人公ザムザが朝起きると、自分が巨大な毒虫に変わっていることを発見する。

人間の存在自体の危うさ、私は誰でなぜここにいるのか。

見つからない答えを見つけに行く。

観劇や読書はそんな精神の旅でもある。

それでも演劇は終演時間が来るし、本も読み終える。

その後、それまでの問いとは関係なく腹が減り、うまいものを食べたりする。

もうすぐ、路上演劇祭の旅も終わる。

さて、何食べようか。

















1850

エンディング【ことしもおわるさ】

 

ジュリーの替え歌はある意味シュールで路上演劇祭らしい気がした。

「どこにいたってもいい」。

今年のキャッチコピー。

どこにいたったんだろう?

いや、どこにいたってもいいのだ。